P.K.G. MAGAZINE | パッケージを考える

COLUMN

パッケージが伝える「機能的価値」と「感情的価値」。その先にあるもの。

「プラスチックフリー」「脱プラスチック」という言葉を目にする機会が増え、多くの展示会などでは必ずと言えるほど、それらに関わるブースが設けられ、メディアを通じてニュースや記事に触れることが、年々増えてきたように感じられます。しかしながら、日々の暮らしの中で、私たち一人一人がその問題を意識し、向き合い行動していることが、どれだけあるでしょうか? より良い未来に向けて私たちができること…。そのために必要な意識とは、どのようなものなのでしょうか?

この秋、ネスレ「キットカット」ブランドより、外袋がプラスチックから紙パッケージへと変更された5つの商品が発売され、話題となりました。お菓子の大袋の外袋に紙パッケージが使用されることは業界初となり、生産上のコスト面を重視するのではなく、廃棄物のない未来を目指しての取り組みとして注目を集めています。
この紙パッケージ発売後、様々な企業のプラスチック削減に対する取り組みについてを聞くシンポジウムへ参加する機会があり、「環境問題に積極的に取り組むこと、それを実現し継続していくことは、世界No.1ブランドとしての責任。」と、今回の紙パッケージ開発に対する想いを話されていたネスレの方の言葉が、強く印象に残っています。

「キットカット」はチョコレートで最もグローバルなブランドのひとつにあたり、それを取り扱うグローバル企業が、消費者に見える明確な形として、プラスチック削減と環境問題への取り組みに対する意思、その実現性を示してくれたという点には、非常に大きな意味があり、多くの人に気づきや関心を与えてくれたという点からも、この取り組みの意義と貢献度の高さを理解することができるのではないでしょうか。

あり余るほど多くの商品が市場に溢れ、多くの企業が存在する社会において、環境問題や社会問題への実践的な取り組みを、目に見える明らかな形として消費者に見せること、その意思を明確に示すことが、企業価値のひとつにつながる時代になったことを実感します。

「キットカット」の紙パッケージには、プラスチック素材とは違う手触りや風合いなど、穏やかな「温かみ」があります。そして、どこか懐かしい雰囲気からか、スーパーやコンビニエンスストアの棚に陳列される姿に好感を持つことができました。それはそこに、商品を「手に取りたい」と思わせる温度感を感じることができるからなのかもしれません。

そして、この紙パッケージの使い道として「パッケージを切り取って想いを伝える折り紙を折ろう」というおまけの要素が備えられており、これには「最後まで美味しく、楽しく」という、ネスレのお菓子に対するモットーが込められているそうです。

この「折り紙」のアイデアによって、紙パッケージに対して「機能的な価値」だけではなく、「感情的な価値」が加えられています。これまでも様々なシーンで想いを伝える手助けをし、たくさんの誰かを応援してきた「キットカット」ブランドらしい「思いやり」を感じ、商品と共に提供される「伝える」というコミュニケーションによって、廃棄されるであろうパッケージが折り紙のギフトとして形を変え、感情を伴い生まれる“アップサイクル”を可能にしています。

現在、日本で廃棄されるプラスチック量は、年間900万トンと言われています。
「キットカット」の外袋を紙に変えることで見込まれる年間のプラスチック削減量は、約380トン。900万トンという大きな数に比べてしまえば僅かなようにも感じられるこの数字からは、「ひとつの企業」の「ひとつのブランド」の「ひとつの商品」、「その中の一部分」のパーケージ素材を紙へと替えるだけで、これだけのプラスチック量が削減されるということを知ることができます。そしてそれと同時に、私たちが普段何気なく買い物をし、食事をし、生活をする中で、どれほど多くのプラスチックを含めた廃棄物を出しているのか?ということを連想できるのではないでしょうか。

「今私たちの目の前にある多くのゴミたちは、どこへ行くのだろうか?」と考えた時、それらは決して消えて無くなることはなく、同じ地球の中でどこか別の場所へ移動しているだけなのかもしれない、という想いにたどり着きます。プラスチックから紙へと替えられたパッケージも、単なるゴミとして捨てられてしまえば廃棄物には変わりはなく、処理されていく末を想像した時、多くの課題が山積みという現実に気付かされます。

今回の「キットカット」紙パッケージの事例を通し、使用する素材の選択、3R(リユース、リデュース、リサイクル)やアップサイクルへの配慮など、パッケージやデザインの作り手として、今後向くべき方向や視点の先を 理解し直すことができました。モノ作りにとって重要となる、生み出されたモノが持つ「機能的な価値」と「感情的な価値」、それを生み育んでいけるという点においても、デザインという思考の持つ価値の大きさ、可能性を、改めて意識することができたように思います。そしてそこには常に、生み出すことへの責任が伴うということも。

3Rが提唱されて長い時間が過ぎた今でも、それらを暮らしの中に取り入れ継続していくことには、利便性が伴わないという難しさがあります。しかしながら未来を視野に入れた時、利便性の問題をクリアできるような、日常から生まれる発見や工夫、一人一人のモラルと意識が絶対的に必要となっていきます。「自ら考え、何を選択するか?」を個人に任されている時代だからこそ、買う側としての責任、消費する側の責任として、普段自分が手に取るモノは何かに対して正しいと感じられるものを選んでいきたい、そう感じます。「モノが生まれ、消費され、行き着く先を想像できること」。この小さな意識こそが、これからを生きる私たちが持つべき、重要な意識のひとつなのではないでしょうか。

P.K.G.Tokyo : 矢内靖子


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