P.K.G. MAGAZINE | パッケージを考える

COLUMN

「デザイン経営」その2/目を向けるべきは、たった二つのこと

その1で取り上げた「デザインラダー」では、デザイン経営の活用における企業の現在地が分かりました。しかしながら今一度、「デザイン経営」の役割と効果について立ち戻ってみる必要があるでしょうか。

現代において私たちの生きる世界の中心には経済活動があり、その活動が行われる場としての「市場」があります。かつては人口も労働力も溢れ、世界のメイン市場の一つであった日本も、すでにその地位を失っているといっても言い過ぎではなく、世界の経済は他の大きな国や新興国の市場へ向かっているのが現実です。そんなグローバル市場においても競争力のある企業が有しているもの、グローバル市場戦略の中心に据えているものとはなんでしょうか。それこそが、デザインです。そのデザインを最大限活用し、グローバル市場で戦える智恵と武器になる経営手法が「デザイン経営」なのです。

「デザイン経営」つまり、デザインと経営を合体させることで得られる効果について、経済産業省 特許庁による「デザイン経営宣言」にはこうあります。

「デザイン経営」の効果=「ブランド力向上」+「イノベーション力向上」

前述の宣言によると「ブランド力」とは「他の企業では代替できないと顧客が思うブランド価値」であり、それは企業の競争力を決定づける資産となるものです。そして、時代や場所に合わせて戦略的にマネージメントすることで、ブランドの市場価値は高めることができるのです。そのブランドマネージメントにデザインは欠かせないものに違いありません。

次に「イノベーション力」とは「社会のニーズを利用者視点で見極め、新しい価値に結び付ける」ことと定義されています。それはつまり、発明や技術革新だけではなし得ない、社会との結びつきをつくり、社会そのものを変えてゆくきっかけをつくること。それこそがデザインのもう一つの力であり、デザイン経営におけるもう一つの役割なのです。

「デザイン経営」において目を向けるべきこと。それはたった二つのこと。

それは、「ブランド力向上」と「イノベーション力向上」です。

そして、それを達成するべき最大の目的はただ一つ。

グローバル市場における「企業競争力の向上」に他なりません。

10年先の世界市場を想像すれば、日本国内市場は明らかに頭打ちです。しかしながら、新型コロナ禍による不都合や、5Gを始めとする様々なテクノロジーにより、グローバル市場がますます溶け合ってゆくことは想像にたやすいのではないでしょうか。そのためにも、これから5年10年の先を見据えて「デザイン経営」こそが、今、本気で取り組むべき課題であることを直視してみてはいかがでしょうか。

P.K.G.Tokyo ディレクター:天野和俊

COLUMN

デザインから伝わる「使いやすさ」の正体

2020.10.08

お店の入り口で押して開けようとしたドアが引き戸だったり、
ガラス張りの建物の入り口が見つからず困ったり、
飲料マシンの操作ボタンを間違って押してしまったり、
日々の暮らしの中で「何気ないミス」を経験した方も少なくないのではないでしょうか。

「アフォーダンス」は、アメリカの心理学者J・Jギブソンが「afford/与える、提供する」という意味から造語した、物理的なモノと人の関係を指した認知心理学における概念です。
J・Jギブソンは「アフォーダンス」をモノの属性と、それをどのように使うことができるかを決定する主体の能力との間の関係のことであり、物をどのように操作するかに強力な手がかりを提供すると定義しています。

コップの取っ手が「持つ」という動作をアフォードしている。
ドアに取り付けられた平らな板は押すことをアフォードしている。
ノブは回すこと、押すこと、引くことをアフォードしている。
小さな細長い穴は何かを挿入することをアフォードしている。

知覚されたアフォーダンスは、どんな行動を取りうるかを
表示や説明の必要なしに思い描く助けになるという考え方です。
回しやすい蛇口の形状や、操作をストレスなく行えるボタンのスイッチ、
押すと引くのサインが無くても簡単に開けられるドアの引き手。
意識しなくとも、自分の求める動作が自然と出来ている状態です。

パッケージにおいても、このような面から様々な包装材の工夫がなされています。
例えば、調味料のキャップ。開け口の小さな出っ張りが指の引っ掛かりを作り、
ワンアクションで開けられるようになっています。
また、ゼリーやヨーグルトのカップ、ハムやベーコンのフィルムの開け口を教えてくれる小さなつまみ。
このようなパッケージの「アフォーダンス」は一見何気ないものですが、
日々の暮らしをとても快適にしてくれるのではないでしょうか。

しかし、一方でパッケージに限らず、過剰な機能を増やしすぎたために
返って操作が困難になり「使いにくく」なったというユーザーの声も多く聞かれます。

人々が潜在的にモノを不自由なく使うためのアクション。
それを起こさせるためのデザインの構造や仕組みとはどのようなものなのでしょうか。
「使いやすさ」の正体のヒントを元に、今の時代本当に求められていることは
何なのか。これからも考えていくことが必要だと感じました。

「誰のためのデザイン?」
-D.Aノーマン(新曜社)

「論理的思考によるデザイン
造形工学の基本と実践」
-山岡俊樹(ビー・エヌ・エヌ新社)

P.K.G.Tokyo 大西 あゆみ

COLUMN

日本のパッケージ記号論

2020.09.11

“日本の包みは、運ばれる品物の一時的な飾りではなくて、もはやそれ自体が品物なのである。包装紙そのものが、無料だがしかし貴重なものとして聖化されている。包みが一個の思想なのである。”

“しかし、たいていは幾重にも包まれたこの包みの完璧さそのもののために(人はなかなか包みをときおおせない)、包みが包み込んでいる内容の発見を包みはさきへ押しやる——そして包み込んでいる内容はおおむね無意味なしろものである。つまり、内容の不毛が包みの豊饒と均衡がとれていないという、そのことこそが、まさに日本の包みの特殊性なのである。”

“つまりは相手に贈る肝腎なものは、包み箱そのものであって、包み箱の内容ではない、といった感じである。”

“つまりは、包み箱は表徴の役目を果す。遮光カバーとして包み、仮面としての包み箱は、それが隠し保護しているものと、等価である。と同時に、もしも次の言いかたをその二重の意味、金銭と心理の二つの意味にとっていただけるならば、包み紙は《内容と代替可能》ということを示すものである。包み箱が包みこみ、そして包み箱が表徴するもの自体は、ひどく長い時間、《もっとあとに置かれる》ことになる、あたかも包みの機能は空間の中に保護することではなくて、時間のなかに運びこむことでもあるかのように。”

“包みの中にある内容、表徴のなかにある表徴されるもの、それを発見することは、それを棄てることなのである。蟻のようなエネルギーで日本人が運んでゆくものは、つまるところは空虚な表徴である。”

Roland Barthes (1970). L’Empire des signes
(ロラン・バルト 宗 左近(訳) (1996). 表徴の帝国 ちくま学芸書房)

ロラン・バルトはフランスの思想家、記号学者です。1966年から1968年にかけて数度来日、その経験から西洋の文化のあり方と日本の文化のあり方を、「記号(表徴)」をキーワードに論じています。西洋の文化、思想が意味を重んじるのに対して、日本には意味を隔たった「記号」をもつ文化の国として様々な例を取り上げています。

例えば、皇居について「空虚な中心」として、いかにも都市の中心でありながら誰からも見られることのない皇帝の住む御所として書き記しています。また、西洋の場末のビリヤード・マシンは打ち出した玉を機械をゆすり、進路を調整することに重きを置くことに比べ、日本のパチンコは打ち出した玉の軌跡に全てを委ねるものとして紹介されています。そのあり方は日本の芸術家の、線を一気に引くような、決して矯正のないあり方が根源的絵画の原則と同じであると論じています。

そんな文化論の一節に、冒頭で引用した日本の「包み」があります。日本の包装は、ささやかなお土産のお菓子であってもまるで宝石と同等のように豪勢である、そんな豪勢な包装のお土産を修学旅行の学生たちが容易く持ち歩いていると著者は述べています。そして何重にも包装され、まるで開封のときを遅らせるかのようです。包み箱の価値と中身の価値は等しく、また包みを開けることはその包みの「表徴」を棄てることだとも論じています。

人にものを贈るとき、誰しもパッケージを吟味したことがあるのではないでしょうか。何色かから選べるリボンを相手の好みを想像して選んだり、少し高級な箱に入れてもらったり……逆に貰う立場の際は、素敵なパッケージに期待を膨らませたり、そっと開けるときのワクワクした気持ちは誰しも味わったことがあるかと思います。全ては「贈る」という行為の演出であり、相手との気持ちや時間の共有のための手段としてパッケージが用いられています。贈る行為に込めた思いやりが、ロラン・バルトの論ずる「意味を隔たった記号としての包み」という日本独自の文化を形成してきたのではないかと思います。

現在、世界ではもちろん日本でもパッケージの環境配慮が進んでいます。プラスチックから紙への移行やラベルレスの商品の登場など、パッケージの文化はどんどん変わっていくことになりそうです。もちろん過剰な包装の見直しや、素材への意識のアップデートは進めていくべきだと考えています。パッケージのデザイナーとして、環境配慮には取り組みつつパッケージに潜む日本の文化までを無くしてしまわないよう、心に留めていきたいと思います。

P.K.G.Tokyo 白井絢奈

COLUMN

シンボルマークに見るアイデンティティ。

先日、2025年開催の大阪万博シンボルマークが発表されました。メディア上では「かわいい」や「怖い」といった賛否両論が繰り広げられているようですが、2020東京五輪のシンボルマーク以来、久しぶりの世論を巻き込んだデザイントピックとなっています。世間でデザインが語れる時、シンボルマークをはじめとしたマーク開発がよく引き合いに出されます。それはマーク開発というものが一般化し、デザインの一分野として確立されたものであるからだと感じています。では、シンボルマークやロゴマークとは一体なんのためにつくるものなのでしょうか。あまりに当たり前に世間にマークがありすぎて、もはや私たちはその意味を見失いがちです。今一度、その目的を検証してみましょう。

マークの歴史を遡れば、古今東西たくさんの事例が出てくると思います。例えを出せばきりがありませんが、日本で言えば家紋などが代表的でしょうし、西洋でも家柄ごとの古い紋章を研究した紋章学などの学問も存在します。さらに時を遡れば、古代から所有者を表すサインとしてマークが用いられていたり、判子なども自身であると認めるために、サインの代わりとしてマークを捺印することで古くから使われてきました。元来マークとは、歴史的に見ても「所有」「所属」「証明」など、個を特定するアイデンティティの表現を目的としていることがよくわかります。その中でも家紋や屋号は現代においても歴史あるアイコンとして使用されていますよね。老舗デパートや財閥系企業のロゴマークによく見られるものです。

話を現代に戻しますが、会社のロゴマークのことをCI(コーポレートアイデンティティ)と言います。先述のマークの役割で言えば「所属」を表すことが最も大きな意味合いとなりますが、CIはその役割だけにとどまりません。CIとは「会社のアイデンティティを見える形にしたもの」です。もし仮に所属の表現や区別を目的とするだけでいいのであれば、他のマークと違いさえすればなんでも良いので、管理番号のような数字の羅列で良いはずです。つまり、CIがCIたり得るためにはアイデンティティが表現されていなければならないのです。培ってきた歴史、組織の掲げる目的、守るべき信念といったイズムをマークにしてこそ、はじめて「アイデンティティ」と呼べるのではないでしょうか。この仕事に長く携わっていると「かっこいいマークを作ってください」というオーダーを時々耳にします。かっこいいかどうかは結果論でなければならないし、議論すべきはかっこよさではなく、何をパーパスとしているかです。かっこよさを真似ることはできますが、理念を真似ることはできません。アイデンティティを形にするからこそ、他と違うオリジナリティのあるデザインとなるのです。

歴史考証とともにアイデンティティという観点で1964年の東京五輪のシンボルマークを分析してみましょう。教科書にも載っている亀倉雄策氏のデザインです。終戦からおよそ20年。当時の東京オリンピックは日本が先進国として国際社会に復活したと、国内外にアピールするために非常に重要な国家プロジェクトでした。東日本大震災からおよそ10年経つ今日ですが、福島をはじめとする東北が完全な復興を遂げていないことを見れば、戦争で疲弊した当時の日本がどれほど急速に経済成長したかが伺えます。自信と誇りを取り戻すための通過儀礼がオリンピックだったのです。1964年の東京五輪のシンボルマークはその本質をとらえています。大きな赤い真円は、「日本」そのもの。当時の誰しもが失われかけた愛国心とアイデンティティをそのシンボルマークに感じたことでしょう。共感こそがデザインが持つ最も偉大な力です。ちなみに余談ですが、このオリンピックのシンボルマーク。「①シンボルマークを一貫して用いる。②五輪マークの5色を重点的に用いる。③書体を統一する。」といったルールによって運用されたそうです。現代の私たちが制作するCIマニュアルでも、シンボルマークのルール化とカラーマネージメントによるデザインシステムでブランドイメージをコントロールしています。私見ですが日本におけるブランディングの起源は1964年の東京五輪だったのではないかと感じました。かつてのオリンピックのシンボルマークを例に見ても、マークには大きな求心力が求められます。短絡的な思考で目新しさに惑わされるのでなく、皆が共感できるアイディンティティを形にすることこそ、デザイナーの為すべき重要な仕事なのではないでしょうか。

参考文献:東京オリンピック1964デザインプロジェクト

P.K.G.Tokyo ディレクター:柚山哲平

2020年7月1日からプラスチック製買い物袋の有料化が始まりましたね。
今回は、この背景にある海洋プラスチック問題についてご紹介していきます。
現在、地球上では年間800万トンものプラスチックごみが海へ流れ込んでおり、既に世界の海には合計1億5000万トンも存在していると言われています。このごみたちによる海洋汚染や生態系に及ぼす影響を問題視したのが「海洋プラスチック問題」です。水深4800mの深海にも数えきれないほどのレジ袋などが漂い続けているそうです。これらの存在は何年も前から危険視されていますが、ここ最近はその注目度がさらに高まっています。というのも、このままのペースでごみが排出され続けると、2050年には海にいる全ての生き物の重量よりプラスチックのほうが重くなると予測されているからです。

 

マイクロプラスチックとは

最も厄介なのが「マイクロプラスチック」。
これは5mm以下になったプラスチックごみを示します。
マイクロプラスチックは発生のタイミングと作られ方の違いで2種類に分けられます。
一つは「1次マイクロプラスチック」。
5mm以下のマイクロサイズで製造されたプラスチックを指します。洗顔料や化粧品、歯磨き粉、洗濯洗剤の中でプラスチック製品(スクラブやマイクロビーズ)が使用されているものに含まれ、排水などを通じて自然環境へと流出します。
もう一つは「2次プラスチック」です。
ペットボトルやゴミ袋など、大きなサイズで製造されたプラスチックが河川や海へ流れ、水流や衝突、紫外線の影響で劣化し細かく砕けマイクロサイズになったものです。
屋外に放置されたり、ポイ捨てされたりした身近なプラスチック製品が劣化し、簡単に生まれてしまいます。
これらのもとになる原料は「ポリスチレン」「ポリエチレン」「ポリ塩化ビニル」「ポリプロピレン」。まとめて「4大プラスチック」と呼ばれています。
食品用トレーや洗剤ボトル、レジ袋、ラップ、ペットボトル、包装フィルム、衣服、ストロー、文具…。どれも私たちの生活の中で様々な形となって使用されていますね。

 

生態系への影響

マイクロプラスチックになる前の大きなごみは回収が可能のようですが、マイクロプラスチックは一度海洋流出すると自然分解されることなく半永久的に海に溜まり続けてしまいます。そしてこれらは海洋中の有害物質が付着しやすい特性を持ち合わせています。

目には見えない微粒子のため海洋生物が体内に取り込みます。体内へ取り込まれたマイクロプラスチックと有害物質は体外へも排出されますが、一部が体内へ蓄積される可能性があるのです。
大きなプラスチックごみについても海洋生物へ被害があります。餌と間違えて飲み込んだものの、体内で消化することができずに腸閉塞などを起こし死んでしまう事例も散見されます。過去には鼻にストローが刺さったウミガメの写真が話題になりましたね。あまりにショッキングな画像のため今でも鮮明に覚えています。
生き物はプラスチックを消化できません。海洋生物にとって生死に関わる危険な存在です。

この脅威は海洋生物に限った話ではありません。
私たち人間も知らず知らずのうちに、毎週5グラム、クレジットカード1枚分ものマイクロプラスチックを体内へ摂取している可能性があるといいます。
大気中や水道水、ボトル入り飲料や海産物、食卓塩などあらゆるところから検出されているそうです。

海洋生物や人々に悪影響を及ぼす海洋プラスチックごみ。
漂流し続けるごみを減らすために世界中でこの問題を解決すべく取り組んでいるということです。
レジ袋の有料化はこの問題に対してあまり効果がないのでは?という声もありますが、私は今回の有料化がこの問題について知ろうとするきっかけになりました。立ち寄った書店でも関連書籍が並べられており、その棚の前で本を手に取る人の姿がありました。根本的な解決にはならなくとも、世の中の関心が高まったという点では効果があったのではないでしょうか。

 

4つのR

レジ袋を使わないこと以外に個人でできる取り組みとして、4Rについて調べました。
よく知られる3R「Reduce」「Reuse」「Recycle」に加え、「Refuse」を加えたものです。
幼い頃から耳にしてはいましたが実際生活の中で意識する機会が少なかったので、自分のおさらいも兼ねて効果の高いものから順に具体例と共にご紹介いたします。

「Refuse」(断る/拒否する)
ごみになり得るものはもらわない/買わないようにすること
・レジ袋の利用を断り、マイバッグを使用する。

「Reduce」(削減する)
ごみを減らすこと
・食品を無駄なく食べ、残さない。
・使い捨てのものは避けて、長く使える製品を選ぶ。(充電式の電池/詰め替えて使える製品)
・簡易包装の商品/量り売り を選ぶ。
・洋服や装飾品のレンタルサービスを利用。

「Reuse」(再使用する)
一度使い終わったものでも、使える限り繰り返し使う。
・着古した服をリメイクして使用する。
・空き瓶を回収してもらい、洗浄処理。再び瓶として利用。
・修繕して長く使う。
・フリーマーケットやリサイクルショップの利用。

「Recycle」(再生利用)
紙やペットボトルなどを再び原料として利用し新たな製品にします。
主にマテリアルリサイクルを示します。
・資源ごみの分別回収への協力。
・リサイクル製品を積極的に利用する。

いきなり全てを実行するのはハードルが高いので、私はマイバッグやマイボトルの利用といつもより丁寧にゴミの分別してみるところから始めようと思います。

 

日本のごみ問題

数日前、一人の高校生が「過剰包装をやめて欲しい」と訴えて、集めた署名を大手菓子メーカーに届けたことが話題となっていました。
日本の過剰包装については海外でも問題視されており、日本は一人あたりのプラ容器包装の廃棄量が世界2位の、プラごみ大国だそうです。実際日本のプラスチックごみは国内で抱えきれないほど。
日本は年間900万トン以上プラごみを排出しています。容器包装関係だけでも450万トンほどあります。排出されたごみの80%は有効利用してるので「リサイクル先進国」と言っていますが、この有効利用は「サーマルリサイクル」と「海外輸出」のこと。サーマルリサイクルとはプラごみを燃やした熱を利用することです。海外ではサーマルリカバリーと言い、リサイクルにはカウントされません。
もう一方の海外輸出は、プラごみを「資源」として扱いアジアの途上国へ輸出します。
ごみ発電所の中で燃料として利用されるか、再生プラスチックになるのですが、汚れたプラごみはリサイクルにまわせない場合が多く、利用できなかったものに関しては捨てられます。「有効利用」の名目で輸出した日本からのごみが、結局他の国で自然環境に投棄されている、ということになります。
主な輸出先は中国や東南アジアでしたが、2017年に中国が廃プラの輸入規制を始めたのを皮切りに、アジア各国もこれに倣いました。こうして日本の廃プラは行き場をなくしているのです。
あと20年で国内最終処分場の残余容量が尽きるとも言われています。
こうした実態を受けて、日本政府が策定した「プラスチック資源循環戦略」では2030年までに使い捨てプラスチックの排出量を25%抑制する目標を掲げています。
パッケージ業界でもキットカットが紙製のパッケージになるなど動きがありましたが、今後こうした取り組みが増えていくのではないでしょうか。

過剰包装について訴えた高校生の話に戻ります。彼女の行動が称賛される一方で、企業側の応対も素晴らしく企業姿勢を評価する声が寄せられていました。
菓子メーカーは公式サイトにて、包装の必要性とこの企業が行ってきた環境問題への取り組みについて見解を示したのです。
このやりとりはSNSやネットニュースにより広く拡散され注目を集めました。

 

おわりに

パッケージは食品の保護や安全性の確保という重要な役割を持ちます。
デザイナーとして商品の情報や魅力を伝えデザインすることに日々やりがいを感じますし、消費者としても素敵なパッケージに巡り合うとつい嬉しくて買ってしまいます。
しかし中身を使用した後はごみとして処分されるのも事実です。あんなに心を打たれ「可愛い〜!」と手にとったものも、使い終わったらダストボックスへ…。心がキュッと痛みます。
パッケージデザインに携わらせていただく立場として、この問題について書くことを悩みました。
ただ作る立場であるからこそ知っておきたいと思い至り、雑然とした文章ではありますが今回記事として書き残しました。

今回の記事でご紹介した内容は問題のほんの一部だと思います。まだわからないことだらけです。
一回きりの関心で終わることなく、継続して調査していく所存です。

 

参考文献

脱プラスチックへの挑戦 持続可能な地球と世界ビジネスの潮流
堅達京子 +NHK BS1スペシャル取材班 山と渓谷社 2020

 

文章/イラストレーション
P.K.G.Tokyo 佐藤光

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