P.K.G. MAGAZINE | パッケージを考える

COLUMN

パッケージ差別化への手掛かり

2020.07.10

自粛期間が明けつつも、不安な世の中が続いています。今回のコロナ禍でスーパー等に足を運ぶ機会が増えた方も多いのではないでしょうか。私もそんな内の一人です。スーパーやコンビニエンスストア、ドラッグストアには数え切れないほどのパッケージが並んでいます。そんなたくさんのパッケージの中からどうやって商品は選ばれるのでしょうか?「美味しそうだから」「効きそうだから」「楽しそうだから」「可愛いから」「かっこいいから」「パッと目についたから」「CMで見たから」「SNSで見たから」人によって理由は様々だと思います。一つ一つの商品が、それに関わる何人もの人たちが頭を捻って、時間をかけて、たくさんのライバルの中から選んでもらえるように工夫して、やっと店頭に並んでいることがほとんどです。
今回は私がパッケージの視点からちょっと変わった工夫をしているなと思ったデザインを紹介します。

綾鷹
(C) COCA-COLA(JAPAN)COMPANY,LIMITED

おそらく日本人でこちらの商品を見たことがない人はいないのではないでしょうか?ペットボトルのお茶として大きな知名度をもつブランド、「綾鷹」のパッケージです。すっかり慣れ親しんだ顔つきですが、ちょっと他のパッケージにはないポイントがあります。「あやたか」の平仮名のルビが漢字の「綾鷹」に対してかなり大きいのです。書籍や広告の通常のルビではなかなかこんなサイズは見かけないのではないでしょうか?勝手ながらこのデザインに至った経緯を考察すると、ブランドを立ち上げる際にまだ見慣れない「綾鷹」という商品名をより多くの人が認知しやすいようにルビを大きくする手法を取ったのでは、と考えています。

シリーズ商品についてはルビの大きさは普通になっています。もちろんペットボトルのラベルという限られたスペース内で情報をまとめる意味もあると思いますが、シリーズ商品の展開に至るまでにブランドの認知が上がったため、ブランドロゴとして扱う場面では「綾鷹」の漢字が目に入れば目的が達成されていると判断されたのではないでしょうか。「綾鷹」の漢字がギュッと密度があるのに対して平仮名の「あやたか」にはゆったりとしたスペースがあり、ルビを大きく扱うことではんなりとした上品さが演出されより美味しそうなデザインに感じられます。

ブレンディ®カフェラトリー®
(c) Ajinomoto AGF, Inc.

かつてカフェラトリーが発売される以前は、スティックコーヒーの棚は他の棚よりも飲用シーンをモチーフにしたような情緒的なパッケージが多かった印象がありました。コーヒーはシズル単体では見せ方での差が付けにくいのが理由ではないかと考えています。このカフェラトリーのパッケージは極限まで要素を削り、あえて他の商品の逆を目指すことで結果として棚の中で目立つデザインになっています。

またシンプルな構成のために箱に使われている弾きニスの質感がとても映えていて、少しテクスチャのある紙を使ったかのような上質な雰囲気が感じられます。シズル部分はグロスでツヤツヤな表現になっておりニスだからこそできる表現が存分に使われています。少ない要素の中で全く無駄な作りがない、私が好きなパッケージの一つです。

味覇
(C)KOUKI-SHOKO CO., LTD.

こちらもどこのスーパーでも見かける商品です。よくみると「味覇」の覇の字の冠部分、辺が一本足りていません。こちらの商品は細かな要素をなるべく削り、ロゴタイプがデザインのほとんどを占めています。より太く力強く見せるため極限まで文字を太らせ、視認性を損なわない範囲で辺を省略したのだと思います。パッケージを構成する要素は少なめですがミニマルなイメージはなく、大胆なデザインになっています。日本のデザインではありますが、本場中国の昔からあるようなテイストを表現しているように思います。

SORACHI1984
©SAPPORO BREWERIES LTD.

最後に紹介するのは弊社で制作させていただいた、SORACHI1984です。こちらもちょっとした工夫をパッケージに施しています。

よく見るとホップの中にソラチエースの「A」が隠されています。あえて近い色味のゴールドで表現しているため一発で店頭で気づく方は少ないのではないでしょうか。また、「A」という文字自体もなぜAなのかは一見わかりにくいかと思います。こちらはSORACHI ACEの綴りが由来となっています。元々SORACHI1984はその個性ある味わいのため、好き嫌いがはっきりするような商品です。その代わり、ハマる人にはとことんハマる、そんな少しニッチな立ち位置目指しています。故に成り立ちやストーリーに興味を持ってくださるファンの方も少なくなく、そんな方がソラチエースの綴りと、ホップの「A」の発見がリンクしたときにちょっとした喜びを感じられるギミックになっています。

今回は四種類のパッケージを紹介させていただきました。それぞれが色々な方面からのアプローチで商品をよりよくみせ、手にとってもらえるような工夫をしています。全てが大々的な要素ではありませんが、隅々までこだわりを持って一見気づかないような部分にまでを趣向を凝らしています。
普段何気なく手にとっている商品について、なぜ数ある商品の中から選んだのかを改めて意識してみると新しい発見があるかもしれません。

P.K.G.Toky 白井 絢奈

COLUMN

縄文土器は日本最古のパッケージなのか

様々なものが潤沢にある現在で今や目にしない日はないパッケージですが、その起源はどこまで遡れるのだろうとふと疑問を持ちました。パッケージの定義も色々ありますが、ここでは『日本のパッケージデザイン その歩み・その表情』の中で美術評論家の中山公男氏が定義した内容を参考にし、下記4つの視点を基準に考えてみたいと思います。

1.包んでいる
2.輸送できる
3.保存できる
4.それ自体が自立している

最初に古くてパッケージらしい見た目をしていると思いついたのは縄文土器です。形状から何かを中に入れる為に作られたのは明らかだし、独特の文様も面白い。そこで縄文土器について調べてみました。

縄文時代の始まりは2万年前頃(時期については諸説あります)、縄文土器は主に煮炊き用として作られたものだったそうです。底部付近が火熱で変色していたり脆くなっていたり、煮こぼれや残りかすが炭化して付着している例があることからそのように判断されているとのこと。土器の出現により生では食用にならないドングリなどの木の実や根茎、山菜、キノコなども食ばられるようになり、縄文人の味覚を飛躍的に向上させたと言われています。縄文土器は現代の鍋だったのですね。なお西アジアも土器起源地の一つと考えられていますが、そこでは煮炊き用だけではなく食事用の鉢と貯蔵用の深鉢ともあったそうです。日本で食事用の浅鉢が登場するのは縄文時代前期、貯蔵用の土器が出現するのは弥生時代です。

最初に挙げた5つの基準を見返してみると、1.包んでいる2.輸送できる4.それ自体が自立しているは縄文土器に当てはまりますが、3の保存性は主な用途ではないようです。弥生土器の壺型土器にはふたがあったり口を木の葉のようなもので縛った状態で発見されたものもあり、密封するということに重要な意味を持っていたようです。弥生時代に土器に保存性が求められるようになったのは、農耕生活への移行により米を貯蔵する必要が出てきたからだと考えられています。

それではもっぱら煮炊きの道具として利用されていた縄文土器はパッケージではないのか。煮炊き以外の用途が他になかったのかというと、いくつかあるようです。その一つは吊手土器。土器の主体部であるいちばん下の皿の底は油のシミがついたような変色があり吊手の内側が黒いことから、中に灯心を立てて灯をともしたものだと考えられています。煮炊きが日常の料理に使われるのに対し、こちらは灯の神秘的な力を信じて狩りや採集の成功、豊かさを祈ったものだと考えられています。思えば現代では夜に明かりがあることは当たり前ですが、当時はとても特別なことだったのでしょうね。ですがパッケージなのかというと残念ながらこちらも保存が目的ではなさそうです。

もう一つ、特別な時に使われた土器として埋葬用の棺が挙げられます。特殊な土器の使い方としては最も多い用途なのだそうです。縄文時代には主に子どもの骨が納められていたとのこと。死を認識する生物はヒトだけだと言われていますが、1万年以上も前から亡骸を大切に扱う行為があったのですね。ここでもう一度パッケージの4つの基準を振り返ってみます。

1.包んでいる
2.輸送できる
3.保存できる
4.それ自体が自立している

それでは土器の棺を当てはめてみます。
1.人骨を包んでいます。2.それなりに重いでしょうが運べます。3.まさに保存の為のものです。4.自立しています。
おお、まさにパッケージ!棺はパッケージだったんだと思いがけない発見でした。甕棺墓と呼ばれていて、縄文時代後期から多く見られるそうです。吉野ヶ里遺跡では大規模な甕棺墓が発掘されているとのこと。しかし甕棺墓の形をみてびっくり(興味のある方は検索してみてください)。繭?ミサイル?みたいな形で縄文土器らしい装飾がないのです。

では縄文土器と聞いて頭に浮かぶあの独特な文様は一体どんな意味を持っているのでしょうか。
文献を読んでみると、意味を見出すのが極めて困難なのだそうです。そもそも1万年以上の前のことがわかるというだけでもすごいことですよね…。縄文土器の装飾は、はじめの頃はただ器面を飾るための目的であったと言われています。中期頃に文様のモチーフが何かしら主体的に意味を持つ、物語性文様ができたと位置付けられていますが、その物語が何なのかという事までは解明できていないようです。シュメール語であると主張している人もいます。縄文土器の特徴であるローラーによる回転圧痕の文様は、大陸の石器時代土器のなかにはほとんど見られないとのこと。4や6で分割されるデザインが多いそうで、目分量で等分割するのが容易だからという理由と共に重要な意味があるのかもしれないといった推測がなされています。逆に4と6の単位が使われていない土器には特別な意味がある可能性が高く、日常と非日常、あるいは聖と俗をつなぐ機能をもつものと解釈している人もいるそうです。

それでは縄文土器より古く、4つの視点を満たすものがあったのでしょうか。
あるとしたら自然界の何かだと思われます。また土器より先にザルは作られ使用されていたと考えられています。古い時期の縄文土器には比較的尖った底のものが多いそうで、ザルや動物の獣皮を丸めてつくったメガホンのような器を模しているのではないかと推察されています。また東南アジアの山地民族の中には竹筒の中で米を炊くという技術を持つ人たちがいるそうです。保存性は定かではありませんが、日本でもカシワのような大きい葉は古くから食器がわりに利用されていたようです。

さらに、棺が死のためのパッケージであれば母体は生のためにある自然のパッケージだと言えます。母体は小さな生命を包み、輸送も保存もしながら自身の生命を自立させています。ということは最も古いパッケージは生命が誕生した38億年前に?しかし細菌など繁殖方法が違う生物もいるのでカンブリア爆発が起こったといわれる5億4,200年前なのでしょうか。いずれにせよ遠い遠い昔ですね…。
これで、パッケージに思いを馳せるひとときの時間旅行を終わろうと思います。

参考文献
縄文土器の研究 小林達雄 2002
道具と人類史 戸沢充則 2012
縄文 (日本陶磁大系) 芹沢長介 1990
アジアと土器の世界 アジア民族造形文化研究所 1989
縄文土器は神社だった! 桂樹佑 2019
日本のパッケージデザイン その歩み・その表情 日本パッケージデザイン協会 2005

P.K.G.Tokyo 中澤亜衣

COLUMN

パッケージデザインは新時代に順応できるか。

これまで歴代のヒット商品は、とても印象的なデザインが採用されています。どれも記憶に残る素晴らしいパッケージデザインです。新旧、流行り廃りはあれどヒット商品が名作デザインであることはとても多いと感じます。それは言い方を変えれば、良い商品とは良いデザインによってプレゼンテーションされていると言えるのではないでしょうか。
プレゼンテーションされているとはどういうことか。例えば、これまでにない美味しさの食品が新たに開発されたとします。その事実をコンシューマーに伝えなければ評価を受けられず、当然商品が生き残ることはできません。多くの人に価値を認めてもらうために、作り手は「新しい美味しさ」をプレゼンテーションする必要があるのです。あらゆるコミュニケーションの中で、その「新しい美味しさ」という製品の本質に最も近い位置にあるものがパッケージデザインです。一見するだけでどんな人物かわかる「顔」になることこそがデザインの本懐。コンシューマーを納得させるだけの説得力が、その一瞬のプレゼンテーションに込められているのです。「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、その一見をデザインで表現することこそがヒット商品の呼び水となるのではないでしょうか。

しかし、時代や社会の進化は著しく一筋縄ではいかないようです。先述した例えではありますが「新しい美味しさ」と簡単に書いたものの、同じ枠組みの中で画期的な新しさとはどのぐらい開発できるものでしょうか。各企業の努力によってコンビニやスーパーで買えるものは大体美味しいし、ひどいものはすぐに淘汰されてしまいます。ものも情報も豊かな現代において、そもそも味のイノベーションなどそうそう起こるものではありません。品質の飽和はデザインの飽和を生み、どのデザインも似た表現に偏っているのが現状です。特に言うことがないものをプレゼンテーションするために、言葉を重ねることほどひどいものはありません。
そして時代は変わり、店頭で直接購入することだけが購買プロセスではない時代になりました。同じカテゴリーの商品が並ぶ棚で、いかにしてスポットライトを勝ち取れるかを競っていたパッケージデザインの目的は少しずつ消失しつつあります。またコンシューマーとの新しい関わり方も盛んになってきました。サブスクリプションサービスは買って終わるコミュニケーションではなく長期的な利用を目的としています。これまで商品だったものがサービスとなったのです。商品の本質が変化したのであればそれをプレゼンテーションするデザインも進化しなければなりません。

これからの時代、ニーズが細分化する中で生まれるヒット商品とはどんなものになるのでしょうか。新しい時代には新しい価値が求められます。デザインで表層を取り繕う時代は終わりました。クオリティが均質化する社会において、デザイン経営に代表されるようにデザインは「顔」としてだけではない、新しい価値を体現する役割が求められています。
ビートルズは昔、前衛的で不良の音楽とされていましたが、その後誰もが聴く音楽となり今ではクラシックと言っても過言ではない。デザインもまたクラシックの領域に入ろうとしています。しかし、いまだに新しい音楽が新しいニーズに合わせて生まれるように、デザインもまた社会の変化に対応し、役割を変えながら進化していかなければいけないのです。淘汰の道を免れるため新たなベクトルにシフトすることが、デザインにも求められていると感じています。

P.K.G.Tokyo ディレクター:柚山哲平

COLUMN

「デザイン経営」その1/それ本当に必要ですか?

2020.06.21

2018年5月の経済産業省 特許庁による「デザイン経営宣言」から2年、2020年3月に「デザイン経営ハンドブック 」「デザイン経営の課題と解決事例 」を発表しました。もちろんすでに読んでいる方々も多くいることと思いますので、中身に詳しく触れることは置いておきましょう。ここでは、デザインの価値について多かれ少なかれ理解があり、デザイン経営の導入を検討してみたいという企業において、果たして「デザイン経営は我が社に必要か?」を判断するためのひとつの尺度として「デザインラダー」を取り上げます。

「デザインラダー(Ladder=はしご、手段、段階)」とは、デンマークデザインセンターが2015年に発表し提唱している、企業におけるデザインの活用度を計るためのツールです。

“The Design Ladder”
https://danskdesigncenter.dk/en/design-ladder-four-steps-design-use
出典: Danish Design Centre

この中では、企業のデザインの活用度を極めてシンプルな4つのステップに区別しています。

◇ステップ1「デザインの活用なし」
◇ステップ2「見た目としてのデザイン」
◇ステップ3「プロセスとしてのデザイン」
◇ステップ4「戦略としてのデザイン」

このツールをもって冒頭の「デザイン経営は我が社に必要か?」の判断はどのようにするのでしょうか?その答えはとても簡単です。ステップごとにみてゆきましょう。

◆ステップ1「デザインの活用なし」の企業に、デザイン経営は必要か?

【答え】必要。可能性は無限大です。
ただし、経営者に理解がない場合にはデザイン経営導入の余地なし。「経営」というワードが入っている以上は当然のことですね。導入を試みる担当者は経済産業省 特許庁の資料を駆使して、経営者に承諾を得ることから始めてはいかがでしょうか。

◆ステップ2「見た目のとしてのデザイン」活用の企業に、デザイン経営は必要か?

【答え】必要。デザインは見た目だけではありません。
デザインの一要素として見た目は非常に大切ですが、その背景にある意味や理由こそデザインの価値を伝えるものです。見た目のデザインの好き嫌いからの脱却をするためにもデザイン経営が必要です。

◆ステップ3「プロセスとしてのデザイン」活用の企業に、デザイン経営は必要か?

【答え】必要。さらに理想形を目指しましょう。
プロセスの初期段階からデザイン的思考を取り入れた開発が出来ているということは、すでにデザイン経営にリーチしていると言えるかもしれません。しかしながら、デザイン経営の本質はイノベーション力とブランド力です。そのためにもさらなるデザイン経営の活用が必要です。

◆ステップ4「戦略としてのデザイン」活用企業に、デザイン経営は必要か?

【答え】必要。更新し続けることに価値があります。
すでにデザイン経営企業です。経営者直轄のデザイン部門にデザイン責任者がおり、すべての事業部署を統括している状態であればデザイン経営の理想形です。イノベーション力とブランド力を更新し続けるためにも、引き続きデザイン経営を活用する必要があります。

結論。
どのステップにおいても、デザイン経営が必要というのがここでの答えです。しかしながら、経営者がその価値を見出すことなければ全く意味をなしません。ご自身が経営者でなければ、経営者を巻き込むか、それができなければデザイン経営をあきらめましょう。

また、このツールにおけるステップは企業の現在地を把握するためのものであって、一段ずつ上がるためのステップではないと考えています。現在ステップ1であろうと一気にステップ4の理想形を目指すのがデザイン経営です。言うまでもなく、ステップ3は2を、ステップ4は2と3を内包しています。

私たちは企業価値のポテンシャルを上げる「デザイン経営」を日本企業の99.7%を占める中小企業に活用してもらうべく、いくつかのアプローチでハードルを下げる試みをしてゆきます。この記事に続き、今後もデザイン経営のコラムを配信できればと思います。

P.K.G.Tokyo ディレクター 天野和俊

COLUMN

WITH COVID-19 – コロナのなか、わたしが思うこと。 vol.02

新型コロナウイルスの感染拡大で、
これまでの日常では想像も出来なかったようなことが起きました。

自らの生活や世の中の在り方を改めて振り返る機会を得たように感じます。
第一線で対応にあたる医療従事者や日々の生活に欠かせないスーパーの方、
行政や政府の関係者の方。様々な人によって生活が支えられていることを知りました。

私自身も在宅勤務も時間が経つにつれ、作業環境も整いました。
これまでと違い、スーパーと自宅の往復のみで過ごす日々。
初めのうちは、外出が極端に減り慣れない点もありましたが、家族との時間が増えたり、些細な自然の変化に気づいたり、日々の暮らし方を見直したり、と発見も多いものです。意外に驚いたのはスマホを使う時間が極端に減ったこと。通勤時間についつい画面を見る時間がどれだけ多かったか気付かされました。
出来る事も限られますが、逆に削ぎ落とされたシンプルな世界はある意味新鮮な部分も多々ありました。

また、在宅中に感じたことは「クリエイティブ」の重要性。
情勢が日々激しく変わり、気持ちもどこか落ち込みがちになる今、
作ることは気持ちを暖かくしてくれるものなのかもしれません。
世間でも、お菓子作りや家庭菜園を始めたり、手芸が人気でミシンの売上が上がったというニュースも目にします。これだけ選択肢の多かった世界から、制限のある中で、どのように楽しみを見つけ出すかということも、クリエイティブなのかもしれません。


緊急事態宣言は解除され、外出も緩和されていますが、まだまだ気が抜けない日々が続きます。何かお家で楽しめるものはないかと思い、カレンダーとランチョンマットとして使えるぬり絵を作りました。生活の中のちょっとした楽しみになれば嬉しいです。

↓ こちらからPDFデータのダウンロードが可能です。
カレンダー(6、7月)
calender
ランチョンマットぬり絵
nurie

P.K.G.Tokyo 大西 あゆみ

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